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東京地方裁判所 平成6年(ワ)13913号 判決

原告

キクエイ都市開発株式会社

右代表者代表取締役

菊池彦一

右訴訟代理人弁護士

遠藤直哉

萬場友章

田中秀一

新谷桂

被告

簗田英多

右訴訟代理人弁護士

岡本政明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告から金三〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、原告に対し、別紙第一物件目録記載の建物から退去してこれを明け渡し、かつ平成六年七月二四日から右明渡済みまで一か月金二九万円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、JR池袋駅西口近くの木造二階建て建物の一階店舗部分の賃貸人である原告が、賃借人である被告に対し、右建物の新築高層建物への建替えを主な理由として、正当事由に基づく解約申入れを行い、立退料三〇〇〇万円との引換えによる賃貸建物の明渡及び賃料相当損害金の支払を求めた事案であるが、中心的争点は、右解約申入れにおける正当事由の存否である。

一  前提となる事実(以下、証拠の摘示のないものは、当事者間に争いがない。)

1  被告は、昭和三一年ころ、訴外小原政雄から同人所有の別紙第一物件目録記載の建物部分約七坪(以下「本件建物」という。)を賃借し、昭和三九年三月一三日に、賃料月額二万八〇〇〇円、期間昭和三八年一月一日から同四二年一二月三一日までとする合意(以下「本件賃貸借契約」という。)をしたが、右賃貸借は、右期間満了後もいわゆる法定更新により継続されていた。被告は、右賃貸借以来、本件建物において飲食店(とんかつ壽々屋)を営んでいる(甲第一三号証、第一四号証の一、乙第三〇号証)。

2  キクエイリゾート株式会社は、平成元年一一月二日、前記小原から本件建物の所有権を譲り受け、同社は、平成四年四月一日に原告に合併されたので、原告は、本件賃貸借契約の賃貸人たる地位を承継した(甲第一一、第一二号証)。

3  原告は、平成二年三月一七日、被告に対し、本件賃貸借契約について、建替えを理由に解約の申入れをした(以下「本件解約申入れ」という。)。

二  争点

(原告の主張)

本件解約申入れには、次のような事情があり、正当事由が具備されている。

(一) 本件建物の老朽化

本件建物は、昭和三七年に建築された木造二階建ての建物であり、建築後三〇年以上経過し、構造的・設備的に老朽化している。

(二) 原告の本件ビル新築計画

(1) 高層ビル建築の必要性

① 本件建物周辺の状況

本件建物の所在地は、建ぺい率八〇%、容積率八〇〇%の商業地域に属し、JR池袋駅西口から徒歩約三分、直線距離約三〇〇メートルの交通便利な所に位置しており、本件建物の北側を東西に走るトキワ通りは街路整備が完了し、その両側に高層化された不燃化建物が並んでいる。また、池袋駅西口から西に走る補助七八号道路の両側及び同道路と丸井池袋西口店前において交差し南北に走る補助七三号道路の両側には、オフィスビルが建ち並んでおり、本件建物周辺には一大商業地区が形成されている。

② 高度な容積率の指定

東京都都市計画地方審議会の東京都知事に対する昭和六二年三月の「東京における土地利用に関する基本方針についての答申」によれば、池袋副都心は都心部にも優る重要な位置付けがなされ、右答申を受けて同年に東京都が作成した「用途地域等に関する指定方針及び指定基準」によれば、本件建物の敷地を含む一区画の土地である別紙第二物件目録記載の各土地(以下「本件各土地」という。)は容積率八〇〇%の商業地域に指定されている。

③ 不燃化建物への建替えの必要性

右の答申及び基準においては、市街地の建築物の不燃化、防災再開発等の基本方針が打ち出され、本件各土地は防火地域に指定されているところ、本件建物は木造建物で、しかも老朽化しているため、火災予防上危険な状態にあり、安全な建物への建替えが急務となっている。

④ 最近の東京都の池袋副都心構想

東京都都市計画局が平成六年二月に作成した「副都心育成・整備指針」の池袋副都心構想においても、本件各土地周辺はなお業務・商業市街地ゾーンとして位置づけられており、その整備の方向として業務・商業機能等の集積を支える良好な業務市街地形成のため、市街地再開発事業や特定街区制度を活用する等の指針が打ち出されている。

⑤ 豊島区の方針

東京都豊島区は、都市防災不燃化促進事業や居住環境総合整備事業、狭隘道路拡幅整備事業など、区民に密着した地区レベルの街づくり事業を実践しており、平成二年七月、そのための「豊島区地区別整備方針」を策定した。右方針によれば、本件建物の敷地を含む本件各土地は、池袋西地区の副都心商業業務地に位置し、前記の補助七三号道路と景観プロムナードであるトキワ通りの交差点のすぐ近くに位置しているから、豊島区の方針に照らしても、高層ビル新築の必要性がある。

以上①ないし⑤の観点から、本件建物周辺は、バブル経済崩壊後にあっても、なお高層化及び不燃化が社会的に要請された地域であり、行政による都市開発事業が行われていない現在では民間企業による都市開発事業が一層重要であるから、高層ビル新築の社会的必要性・公益性は高いというべきである。

(2) 原告の本件ビル新築計画

原告は、池袋駅周辺の都市再開発を目的として、一区画を構成する本件各土地上に存する老朽化建物を取り壊して更地にしたうえで、その高度有効利用が可能になるような新築ビルを建築する計画を立てている(以下「本件ビル新築計画」という。)。

右建築予定の建物は、942.15平方メートルの土地上に、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上八階地下二階建、延床面積7537.2平方メートルの規模を有する商業ビルであり、既にその基本的な設計図面も作成されており、一階ないし五階に入るキーテナントも決定済みである。

原告は、これまでに底地権・借地権の買収、借家人に対する立退料に一四〇億円を支払い、今後も右のために二〇億円を支払う予定であるばかりか、右ビルの建築費等に二〇億円を支払う予定であるところ、バブルの崩壊による不動産価額の大幅な低下に伴い、後記(3)③のとおり資金計画を変更して、金融機関と調整を図っているものであり、本件ビル新築計画が実現できなければ、原告は企業として存続できなくなるおそれがある。

それにひきかえ、本件建物は、再開発を予定する広大な本件各土地のごく一部を占めるにすぎず、被告以外の借家人とはすべて円満解決しているにもかかわらず、本件一件のために本件ビル新築計画全体がストップしている状況である。

(3) 本件ビル新築計画の実現可能性

① 本件各土地の所有権はいずれも原告にあり、別紙図面記載のとおり、三八番四及び同番七の土地は既に更地となっている。

② 原告は、本件各土地の借地人、同地上の建物の借家人に対して明渡を求め、別紙図面記載のとおり、相当数の者と裁判上の和解等により明渡の合意を終えている。

③ 現在は原告に対する金融機関からの資金の供給は止められているが、本件の解決によって、本件各土地が土地再開発事業にふさわしい土地になる見込みが立てば、立退料、建築資金等の資金が供給される予定である。

原告は、本件ビル新築計画の収支バランスを検討して、既に支出している前記経費一四〇億円を五〇億円に圧縮し、今後支払を必要とする立退料、建築費等四〇億円との合計九〇億円の事業として本件ビル新築計画を遂行することとし、建築資金二〇億円にはキーテナントが原告に支払う建築協力金(七億円)及び保証金(一三億円)を充て、立退料二〇億円には金融機関からの借入金を充てる予定であり、また借入金合計七〇億円は、月額四五〇〇万円の賃料収入によって長期分割返済する予定であるから、本件ビル新築計画は十分に実現可能である。

(三) 被告の事情

被告は、代替店舗において飲食業を継続することが十分可能である。

(四) 被告に対する代替物件の提供と被告の不誠実な対応

原告は、被告に対し、裁判上の和解の積み重ねにより形成された基準に基づく公正・公平な立退料を提供したほか、本件訴訟前後の過程においても、本件ビル新築計画による新築ビル地下一階への再入居、本件建物の向かい側にある原告所有地に建築が予定されている新築ビルへの再入居のほか、近隣の代替店舗を誠意を尽くして提案した。

被告は、総論的には立ち退きを了解し、裁判外での話し合いによる解決を求めていたにもかかわらず、各論になると実現不可能な条件をつけ、明確な理由もなく不誠実に明渡を拒絶している。このような被告の対応により、本件ビル新築計画全体が遅延し、金融機関からの融資も実行されない状況になっており、明渡の合意をした他の借家人は被告一人のために損害を被っている情況である。

被告は、立退料が確実に支払われる見込みがないと主張するが、引換給付判決であれば、万一右支払が遅れても、被告はその間本件建物で営業を継続できるから、被告に何らの不利益もない。

また、被告は、原告が本件建物の向かい側にある原告所有地に商業ビルを建築すると主張して、同地上の建物の借家人に対して建物の明渡しを命じる判決を得ながら、現実にはそれと異なる低層建物を建築させたことをもって、原告が不誠実で信用できない旨主張するが、右土地は事業用定期借地権によって賃貸され、平成一七年には右建物を収去し、それ以降に改めて再開発事業を展開する予定になっており、経済情勢の変化によって右事業の形態がやむを得ず変化したことをもって、原告が不誠実な行動をとったということはできない。

(五) 立退料の提供

原告は、正当事由を補完するため、立退料として、他の借家人との明渡の合意により形成された基準に従って、鑑定による借地権価額をはるかに上回る三〇〇〇万円を提供する。右立退料は、原告代理人弁護士名義の普通預金口座に入金されており、確実に支払われるものである。

今日の正当事由の判断は、住宅難の時代に形成された判断と異なり、高層ビル建築の必要性、都市再開発の必要性等の社会的な情勢の変化に伴い、経済的な損失の均衡を中心としてなされるべきである。バブル経済崩壊後においては、賃貸店舗等の代替物件は供給過剰な状況であり、移転及び営業の継続は極めて容易であるから、借家人の経済的損失を完全に補填すれば、正当事由を備えるものである。そして、原告の提供する三〇〇〇万円の立退料は、被告の明渡しによる経済的損失を完全に補填するものであるから、右立退料の提供によって正当事由が具備されるというべきである。

よって、本件賃貸借契約は、本件解約申入れから六か月を経過した平成二年九月一七日をもって終了したので、原告は、被告に対し、本件賃貸借契約の終了による原状回復請求権に基づき本件建物の明渡しを、右原状回復義務不履行による損害賠償請求権に基づき、平成六年七月二四日(訴状送達日の翌日)から本件建物の明渡済みまで一か月二九万円の割合による賃料相当損害金の支払を、それぞれ求める。

(被告の主張)

本件解約申入れには、次のような事情があり、正当事由が具備されていない。

(一) 本件建物は老朽化していない。

(二)(1) バブル経済が崩壊し、都内各所に地上げされたまま空地として放置された土地が多数存在する現状においては、原告主張のような土地の高度有効利用に公益性・必要性がない。また、本件ビル新築計画が市街地再開発事業や特定街区制度等の法定の制度を利用していないことに鑑みれば、原告が私的な経済的利益の追求のほかに、公益的目的を有しているとは考えられず、本件ビル新築計画は私的濫開発である。

(2) 原告は、バブル経済時の答申等を引用するが、これらは、次のとおり、都市再開発につき抑制的な内容に変更されている。

① 原告は、昭和六二年三月の「東京における土地利用に関する基本方針についての答申」を引用するが、平成五年六月には、これを基本的に改変し、「業務機能の過度の集中に伴う一極集中が加速されないよう留意する必要がある」ことなどを指摘する新たな答申が出された。

② 原告は、平成六年二月の「副都心育成・整備指針」を引用するが、本件各土地周辺は、市街地再開発事業の施工区域の条件を欠くものであるし、特定街区の指定も受けていない。

③ 原告は、昭和六二年度版の「用途地域等に関する指定方針及び指定基準」を引用するが、平成五年度版のそれにおいては、「副都心は、都心に集中する業務機能分散の受け皿として、業務・商業機能の無秩序な外延的拡大防止に留意しつつ商業地域を指定し、あわせて容積率を指定する」と限定的な用語が付加されているうえ、本件各土地周辺は高度利用地区に指定されていない。

④ 原告は、本件各土地が防火地域に指定されていること等を主張するが、本件各土地は不燃化促進事業等の指定を受けていない。

(3) 原告は、本件ビル新築計画の公益性・必要性が高い旨主張するが、原告により地上げされたにもかかわらず、空地のまま放置され、原告名で「オーダーメイドビル用地 テナント募集 お客様のご希望のビルを建設してお貸しします」等の看板を出されている土地、低層建物の敷地、駐車場として使用されているにすぎない土地が多数存在するうえ、原告が支払いを約束した立退料の支払も遅延していることからみれば、原告には公益的な再開発を行う適格性がないというべきである。

(4) 原告は、本件建物の向かい側の原告所有地上の建物の明渡しを求める訴訟において、「タワー駐車場を備えた地上一〇階地下二階建の建物の建築を予定している」旨主張して勝訴判決を得たものの、その後、右土地に僅か二階建の低層建物(パチンコ店)を建築させたうえ、本件ビル新築計画による新築ビルの概要も何度となく変更しており、本件各土地の実勢価格と借入金等の建築経費との対比においても、本件ビル新築計画の実現が可能であるとは到底考えられない。また、原告は、これまでに明渡しの合意を得た借家人等に対する立退料及びその遅延損害金の支払を延期し続けているほか、その所有物件につき金融機関からの競売開始決定、東京国税局及び都税事務所からの差押えを受け、原告の債権者によって株式会社共同債権買取機構に原告に対する債権を譲渡されたうえ、その年商一二億円に比べて負債は五〇〇億円であるなど、その経営状態は極めて悪く、本件ビル新築計画が実現可能であるとは到底考えられない。

(三) 被告は、本件建物において、賃借当初からとんかつ屋を営業しており、これが被告の唯一の生活の拠点であるから、営業の継続の必要性が極めて高いところ、立退料を得ても、適当な代替店舗がなければ、本件建物におけるのと同様の営業を継続し得ず、生活の基盤を失うこととなる。

(四)(1) 被告は、原告からの本件解約申入れに対し、本件各土地上に建て替える建物に再入居できるなら明け渡す旨申し入れたが、右土地の跡地利用が決まっていないので応じられないと原告から回答されたため、やむを得ず、原告による明渡費用の負担を条件に、代替店舗に入居して営業を継続すること及び被告が営業を休まず継続することを前提として、原告との交渉に応じた。

その後、原告から数件の代替店舗の提示があったが、条件が悪く了承できなかったので、被告は自ら探した貸店舗を逆提案したものの、原告から資金繰りの都合から猶予を求められ、その後しばらく交渉が途絶した。

平成五年六月ころ、原告から再交渉の申出があり、被告は積極的に代替店舗を探したものの、原告から、代替店舗が見つかっても資金繰りがつかないとの理由により、代替物件探しの中止を求められた。

平成六年二月ころ、原告から再び交渉の提案があり、三五〇〇万円の立退料が提案された。しかし、原告が提示した合意書では、代替店舗の確保について単なる協力規定しかなかったうえ、明渡と同時に立退料を支払うこととされていた他の借家人に対し、金融機関からの融資が受けられないことを理由に支払いが実行されないなど、原告の立退料支払の資力に問題があったため、被告は、右提案を拒絶した。

(2) 以上のとおり、原告は、別件明渡請求訴訟において高層の商業ビルを建築すると主張して勝訴判決を得ながら、二階建の低層建物を建築させたうえ、本件ビル新築計画による新築ビルの概要も何度となく変更したので、原告の建築するビルへの被告の再入居の可否、被告の仮店舗による営業期間が不明のままであり、原告の対応は不誠実であって信頼できない。

第三  証拠関係

証拠の関係は、本件記録中の証拠関係目録のとおりである。

第四  争点に対する判断

一  正当事由についての積極事情

(一)  本件建物の老朽化

甲第一一、第三五号証、鑑定の結果によれば、本件建物は、建物の存続に影響を与えるべき損傷がないが、昭和三七年に建築された木造二階建ての建物であって、建築後三〇年余を経過しており、経年による劣化は否定できないこと、建物所有者としては、その建替えを検討することに合理性があることが認められる。

(二)  土地の高度有効利用及び建物の不燃化の社会的必要性

甲第一六ないし第二六号証、第三一、第三二、第五四、第五五、第八三号証、鑑定の結果、原告代表者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1) 本件建物の所在地は、建ぺい率八〇%、容積率八〇〇%の商業地域に属し、JR池袋駅西口から徒歩約三分、直線距離約三〇〇メートルの交通便利な場所に位置しており、本件建物の北側を東西に走るトキワ通りは街路整備が完了し、その両側に高層建物が並んでいる。また、池袋駅西口から西に走る補助七八号道路の両側及び同道路と丸井池袋西口店前において交差し南北に走る補助七三号道路の両側には、オフィスビルが建ち並んでおり、本件建物周辺には一大商業地区が形成されている。

(2) 高度な容積率の指定

東京都都市計画地方審議会が昭和六二年三月に都知事に対して答申した「東京における土地利用に関する基本方針についての答申」(甲第一八号証)は、池袋地区について、都心部に集中する業務機能の分散を図るため、副都心としての基盤整備を一層促進するものとしている。右答申に基づいて昭和六二年に策定された東京都の「用途地域等に関する指定方針及び指定基準」(甲第二〇号証)に従い、本件各土地は容積率八〇〇%の商業地域に指定されている(甲第二二号証)。

(3) 不燃化建物への建替えの必要性

前記答申は、市街地の不燃化について、防火地域の指定の拡大を図るほか、都市防災不燃化促進事業により不燃化を促進し、幹線道路、避難場所の安全性の確保を図るものとしており、これを受けた前記指定方針及び指定基準においても、市街地の不燃化を促進するため防火地域の指定の拡大を図るものとされ、これに従い、本件各土地は防火地域に指定されている(鑑定の結果)。家屋が密集した商業地域内にある本件建物は、木造建物であり、設備も旧式化しているため、火災予防上は安全な不燃建物への建替えが要請されている。

(4) 最近の東京都の池袋副都心構想

最近の社会経済情勢の急激な変化により、東京都の従来の都市計画の考え方に修正が加えられ、「業務機能の過度の集中に伴う一極集中が加速されないよう留意する必要がある」(平成五年六月東京都都市計画地方審議会「東京における土地利用に関する基本方針について(経済社会の変化を踏まえた土地利用のあり方)答申」、乙第三一号証)、或いは、「業務・商業機能の無秩序な外延的拡大防止に留意し」(平成五年九月東京都「用途地域等に関する指定方針及び指定基準」、乙第三二号証)などと表現されるように、市街地の開発につき一定の限定が課されるようになった。しかし、平成六年二月に東京都都市計画局が作成した「副都心育成・整備指針」の池袋副都心構想(甲第一九号証)においては、本件各土地周辺はなお業務・商業市街地ゾーンとして位置づけられており、その整備の方向として業務・商業機能等の集積を支える良好な業務市街地形成のため、市街地再開発事業や特定街区制度を活用する等の指針が打ち出されている。もっとも、本件各土地は、市街地再開発事業施行地区及び特定街区には指定されていない(乙第一七、第一八号証)。

(5) 豊島区の方針

東京都豊島区は、都市防災不燃化促進事業や居住環境総合整備事業、狭隘道路拡幅整備事業など、区民に密着した地区レベルの街づくり事業を実践しており、平成二年七月、そのための豊島区地区別整備方針(甲第二三号証)を策定した。右方針によれば、本件建物敷地を含む本件各土地は、池袋西地区の副都心商業業務地に位置している。

以上(1)ないし(5)によれば、本件建物周辺は、土地の高度有効利用及び建物の不燃化が社会的に要請されている商業地域であると認めるのが相当である。

(三)  本件ビル新築計画と更地化作業の進捗

甲第一ないし第一〇号証、第二七号証、第三九ないし第五三号証、第七四号証、第七七ないし第八一号証、第八七、第九二号証、原告代表者本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

原告は、本件建物の敷地を含む本件各土地にある老朽化建物を全部取り壊したうえ、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上八階地下二階建、延床面積7537.2平方メートルの商業ビルを建築する計画を有しており(甲第二七号証)、合併前のキクエイリゾート株式会社の名義で平成元年六月一三日に本件各土地の所有権を取得し(甲第一ないし第一〇号証)、別紙図面記載のとおり、三八番四及び同番七の土地を更地化している。

さらに、原告は、本件各土地の借地人及び借家人と明渡の交渉を続け、別紙図面記載のとおり、借地上の建物の買取り、借家人の任意の明渡の合意を取り付け、あるいは本件と同様の明渡訴訟を提起して、借家人との間で建物の明渡を内容とする裁判上の和解を成立させている。また、本件建物の属する二階建て建物についてみれば、平成五年一一月一日以後は本件建物のみが未解決になっており、本件各土地全体で見ても本件の他に四件の借家人との間で明渡訴訟が残っているのみの情況になっている。

(四)  右のような諸事情に鑑みれば、原告が本件ビル新築計画を計画どおりに実現する能力を有している限り、妥当な額の立退料の支払を条件に正当事由の存在を認めるのが相当である。

二  原告の本件ビル新築計画の実現可能性

そこで、以下において、原告が本件ビル新築計画を実現する能力を有しているか否かについて検討する。

(一)  原告の平成四年末の貸借対照表(乙第四六号証の三一)によれば、原告の負債額は約五四四億円であるのに対し、資産合計は約五三七億円であり、そのうち商品が約三〇九億円、固定資産が約二〇八億円であり、平成五年末の貸借対照表(乙第四六号証の三六)によれば、原告の負債額は約五二七億円であるのに対し、資産合計は約五〇三億円であり、そのうち商品が約四七億円、固定資産が約四四二億円となっており、さらに、平成六年末の貸借対照表(乙第四六号証の四一)によれば、原告の負債額は約五二四億円、資産合計は約四七三億円であり、そのうち商品が約一七億円、固定資産が約四三九億円となっている。右貸借対照表の推移によれば、平成四年から同六年にかけて計上されている約五〇〇億円の負債の大半が土地建物の取得に要した費用であり、その取得価額が固定資産としてそのまま貸借対照表に計上されていることが推測される。他方、本件各土地の近傍の土地の公示価格は、平成三年から同八年にかけて約六七パーセントも下落しており(甲第八五号証、原告代表者本人尋問の結果(調書一五頁))、本件建物の借家権も平成二年三月には三六五八万円であったものが、平成七年九月には一二九四万円に下落しており(鑑定の結果)、右地価下落に対応して、原告は実質的な債務超過状態に陥っているものと推測される。

(二)  原告の債権者である株式会社三菱銀行(当時)及び三菱信託銀行株式会社は、前者においては平成五年九月二九日に、後者においては平成六年九月二九日及び同年一〇月三一日に、株式会社共同債権買取機構に対し、原告に対する根抵当権付債権の一部をそれぞれ譲渡しており(乙第二〇ないし第二三号証)、本件ビル新築計画を支援していた金融機関自体が原告からの債権回収が困難であると判断していることが推認される。さらに、平成六年一二月五日には、東京国税局が原告所有の豊島区池袋二丁目八番一の土地について差押えを行い(乙第四四号証)、同七年三月一五日には、東京都豊島都税事務所が原告所有の豊島区西池袋五丁目一一〇九番四九の土地(後記プロジェクト用地)について差押えを行っている(乙第四七号証)。また、原告所有の本件各土地のうち三八番三及び同番四の各土地については、根抵当権権者である株式会社第一勧業銀行の申立てによって、東京地方裁判所が平成七年七月一〇日、競売開始決定をしている(乙第四二号証、第四三号証)。

(三)  他方、前示のとおり、原告は、本件各土地上の建物の借家人との間で立退料の支払を先払い又は同時履行の約束で建物の明渡を受ける旨の私的合意又は裁判上の和解をしているが、右借家人らに対しては、本件各土地全体についての明渡しが解決しないと立退料の財源たる金融機関からの融資が得られず、またこれが解決しても融資実行が遅れる可能性があるとして、約定期限までに立退料の全部又は一部の支払を履行していない(甲第八二、第八三号証、乙第三〇、第三九、第四〇、第四五号証、原告代表者本人)。

(四)  これに対し、原告は、本件ビル新築計画の実現可能性について、既に支出した経費一四〇億円を五〇億円に圧縮し、総事業費を今後支払を必要とする立退料約二〇億円、ビル建築費二〇億円の合計九〇億円とし、建築資金二〇億円は新築ビルの一階ないし五階に入居する予定のキーテナントが支払う建築協力金と保証金を充て、その余の七〇億円は現在ある九つの借入先金融機関を一本にして、そこからの新たな借入金を充てる予定であり、右借入金は月額四五〇〇万円の賃料収入によって長期分割返済する予定であって、圧縮した残りの九〇億円は原告の他の事業収入によって長期分割返済するよう金融機関と調整を図っているから、本件ビル新築計画は十分に実現可能である旨主張し、これに沿う甲第八三号証、第八九ないし第九二号証を提出し、原告代表者もこれに沿う供述をしている。しかしながら、右各証拠は、圧縮したという九〇億円の巨額な借入金を他のどのような事業収入によって返済するのかという具体的な見込みや根拠を明らかにしていない。また、新たに七〇億円を融資するという一本化される金融機関の名称、及びビル建築費を建築協力金・賃借保証金の形で拠出し、金融機関から七〇億円を借り入れる際の信用を供与するというキーテナントの名称について、原告代表者はその本人尋問において速やかに明らかにする旨供述したにもかかわらず(調書五一頁、五二頁)、その後右の点について主張、立証がない。

したがって、原告に本件ビル新築計画の完成能力があるという右原告代表者の主張・供述はたやすく採用することができない。

もっとも、原告は、右原告代表者尋問実施後の平成八年九月二六日に、立退料三〇〇〇万円を原告訴訟代理人萬場友章弁護士名義の銀行口座に入金したから、確実に被告に支払える旨主張し、右銀行口座通帳(甲第八八号証)を証拠として提出している。しかし、全ての借家人に対する立退料及び建築費を支払えるという具体的な見込みを立証しなければ、本件ビル新築計画の実現可能性が立証されたことにはならないのであって、右銀行口座通帳の提出のみでは、原告の本件ビル新築計画の完成能力に対する疑念を払拭することはできない。

(五)  近隣での原告による低層建物の建築

原告代表者菊池彦一が代表取締役であるキクエイホーム株式会社は、池袋地区の再開発プロジェクトである西池袋五丁目のプロジェクトについて、公益性の見地から地上一二階地下一階建のビルを建築すると主張し、また、右菊池が代表者であるキクエイリゾート株式会社(後に原告に合併された。)は、池袋二丁目のプロジェクトについて、地上一〇階地下二階建のビルを建築すると主張して、それぞれ借家人に対して明渡を命じる判決を受けている(乙第一九、第二四号証)。しかし、右各会社は、右五丁目プロジェクトについては、三階建の低層建物を自社ビルとして建築して、敷地以外の土地を駐車場としたにすぎず、右二丁目プロジェクトについても、「オーダーメイドビル用地 テナント募集 お客様のご希望のビルを建設してお貸しします」との看板を出し、結局第三者に一〇年間の定期借地権を設定して二階建の低層建物(パチンコ店)を建築させている(乙第一号証の一、二、第二号証、第三ないし第五号証の各一、二、第三五、第三六、第三八、第三九、第四一号証、原告代表者本人)。

(六)  また、原告は、平成八年七月三一日、本件各土地のうち、三八番一の借地人森下カツ枝から借地上建物の所有権を取得しているが、これは原告が他所の所有物件と交換することによって取得したものであり(甲第八六号証の一、二)、右事実の存在によっても、本件ビル新築計画の実現性に対する疑問を払拭するに足りない。

(七)  以上(一)ないし(六)の事情を総合すれば、原告が本件ビル新築計画を実現することは極めて困難になっていることが認められるのであり、原告が現在もなお本件ビル新築計画を実現する能力を有するものと認めるに足りる証拠はない。

三  正当事由の不存在

右に認定、説示したところによれば、本件は、賃貸人である原告が本件ビル新築計画の完成に必要な能力を有している限り、正当事由の存在を認めるのが妥当な事案であることは明らかであるけれども、右二に検討したように、原告は池袋付近の商業地区の著しい地価の下落によって莫大な債務超過状態に陥っていることが窺われ、再開発事業の対象であった本件各土地自体について、事業資金を融資していた金融機関から競売を申し立てられ、税金の滞納により差押えもされ、今後さらに必要な建築資金及び立退料についてもこれを融資する金融機関名や信用を供与するというキーテナント名も原告からは明らかにされない情況にあるから、原告が本件ビル新築計画を完成する能力を有することについては、多大の疑義が残るものと言わざるを得ない。

これに対し、原告は、バブル経済の崩壊後においては、賃貸店舗等の代替物件は供給過剰な状況であり、移転及び営業の継続は極めて容易なのであるから、借家人の経済的損失を完全に補填するならば、正当事由を認めるべきである旨主張する。しかしながら、正当事由とは、賃貸借当事者双方の利害関係、その他諸般の事情を総合考慮し、社会通念に照らし妥当と認めるべき理由をいうのであり、立退料の提供のみによって正当事由が満たされるべきものではないから、原告の右主張は採用することができない。

他方、被告は、本件建物において、賃借当初からとんかつ屋を営んでおり、これが唯一の収入源であって、本件建物を明け渡せば、その生活の基盤を失うことが明らかであり、本件建物を使用する必要性がある(乙第三〇号証、証人簗田)。

以上の諸事情を考慮すると、本件においては、解約申入れについて正当事由が具備されていると認めることができないと言わざるを得ない。

四  以上によれば、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官細川清 裁判官阿部正幸 裁判官菊地浩明)

別紙〈省略〉

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